ローマと京都は、たぶん似ている
2012年から2年間、夫の仕事の都合でイタリア・ローマに住んでいました。 そして2024年春、同じく夫の仕事の都合で、今度は京都で暮らすことになりました。子どもたちが新しい学校に慣れてきたのを見届けて、同年12月からは京都R不動産の一員として働いています。
どちらも自分の意思で選んだ場所ではありませんでしたが、歩いているとふとした瞬間に、二つのまちが重なることがあります。 長い歴史を背負い、世界中の人々を惹きつける古都。ここは歩いているだけで心地よい「大人のテーマパーク」だなと常々感じています。
時間を重ねる建物たち
ローマで暮らしていた家は、築100年を超える集合住宅でした。外壁は何度も塗り直されてきた跡があり、階段室に入ると、分厚い壁の中をくり抜くように螺旋階段が続いていました。

私たちが暮らしていた築100年の集合住宅、外観と共用階段の螺旋階段
エレベーターも当時のまま。木の扉の奥に鉄の格子扉があり、手動で閉めてからゆっくりと動き出します。動きは決して滑らかではありませんが、すぐに新しいものに取り替えるという発想ではなく、修理しながら付き合っていくという姿勢が感じられました。

当時のまま現在も使われているエレベーター
ローマでは、古い建物を建て替えるよりも、補修を重ねながら使い続けることが前提になっています。建物は消費されるものではなく、引き継がれていくものという感覚があります。
京都に来てから、町家を守り、活かそうとする人たちと出会いました。傷んだ柱を差し替え、瓦を葺き直し、設備を更新しながら、建物の骨格は残していく。その姿勢は、ローマで見てきた建物との向き合い方とどこか重なります。スクラップアンドビルドではなく、修理しながら使うという選択。そうして残された建物の中で、いまも人が暮らしています。

町家が連なる通り。暮らしの気配がそのまま外ににじんでいる。
チェーン店にはない「流儀」を味わう
もう一つの共通点は、独自の「食」へのこだわりです。ローマに住んでいた当時、スターバックスはまだ一軒もありませんでした。現地の人たちの反応が面白くて、あえてスタバの名前を出してみたりしていたのですが(笑)、みな一様に怪訝な顔をして「あれはコーヒーではない!」と言い切られたのを覚えています。 最近ようやく店舗ができたようですが、今でもお客さんは海外の人が中心だと聞きます。

バールと呼ばれる、コンビニ以上に身近な存在の喫茶店
京都にもスターバックスはありますが、それ以上に個性豊かな個人店が元気です。喫茶店だけでなく、レストラン、小さな専門店まで、それぞれに確かな流儀がある。どこに行っても同じ看板がある安心感よりも、その店にしかない一杯、その店でしか味わえない一皿を選ぶ文化が根づいています。観光地でありながら、個人商店が今も当たり前に息づいていること。それもローマと京都に共通する風景の一つだと感じています。効率や拡大よりも、自分たちのやり方を守ること。その積み重ねが、まちの輪郭をくっきりとさせているのかもしれません。

町家を活かしてつくられたコーヒー店
夜らしく「暗い」川と、夏の熱気
ローマにはテヴェレ川が、京都には鴨川が流れています。 どちらの川も、夜になるとちゃんと「暗い」のがいいなと思います。夜は夜らしく、しっかり暗闇がそこにある。その潔さが心地よいのです。けれど、夏だけは水辺の表情が変わります。 テヴェレ川沿いには白いテントのレストランや夜店が並び、夜遅くまで賑わいを見せます。京都の鴨川でも「納涼床」が張り出し、人々が涼を求めて集まってくる。 静かな暗闇の中で、水辺にだけぱっと灯る熱気。季節を全力で楽しもうとする人々のエネルギーも、よく似ています。

夏のテヴェレ川沿い、橋の下に広がる夜のにぎわい
扉をひらく「つたない会話」
人との距離感も、通じるところがあります。最初は少しよそよそしく、簡単には踏み込ませてくれない。でも、時間をかけて向き合えば、驚くほど親身になってくれる瞬間がある。ローマで長女の保育園を探していたとき、入園のお願いに何度か通いました。最初は「定員がいっぱい」と断られたのですが、家族で「入れてー!」というイタリア語だけを覚えて連呼していたら、最後には「じゃあ、もう来ていいよ」と扉が開きました。毎月、家賃と生活費をおろしに通っていた銀行では、つたないイタリア語で一つだけ話題を準備して窓口の方と話すようにしていました。するとある日、キャッシュカードを忘れてしまったのに、顔パスでお金をおろさせてくれたことも。制度や条件をクリアすること以上に、人としてのやり取りを大切にする。一度懐に入れば、家族のように接してくれる温かさがあります。

保育園の発表会のあと、軽食を囲んでおしゃべりが続く時間。中央が私と長男、そして長女
京都に来てからまだ日は浅いですが、少しずつ顔を覚えられ、挨拶を交わす中で関係ができていく感覚があります。 観光客として通り過ぎるだけでは見えない、暮らして初めて触れられるその温度。それがあるから、私はこの二つのまちを愛おしく思うのだと思います。
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